某国立大学が「軍事研究はしない」という旨の声明を出したのが報道などで話題になっています。

しかしご存知のとおり、我々が普段から使用している技術は、軍事目的での開発や改善から一般市場に下りてきたものが少なくありません。

さて、そこで「軍事と全く関係無い学問は、ありえるのか」。
自分なりに考えてみました。

なお結論を先に述べると「無い」です。

砲兵で考えてみる

戦場の女神とも称される「砲兵」。
その運用は、ありとあらゆる学問の集合体であると言えます。

まず大砲そのものを作るところからして、まさに冶金学の歴史そのものです。

砲金=ガンメタルと呼ばれる金属(5円玉のような真鍮に近い色のもの)もありますが、威力のある大砲を作るにはより強靭な金属を製造する技術が不可欠だったのです。

また良い素材を作っても、それを加工する術がなければ何も意味がありません。
より強靭に、より効率的に加工する術を求めた機械加工学も大砲との関わりは無視できないでしょう。

我々が今日、多種多様な金属製品の恩恵に預かれるのは、大砲の進化の歴史とは切っても切り離せないのです。

更に、より大砲の性能を高めるには『火薬』の改良も不可欠であったのは言うまでもありません。

しばし脱線しますが、大砲と科学の発展の関係を語る上で、非常に重要な逸話を1つ紹介します。

我々は今「熱」とは何かと言われたら分子の運動であるということを不変の定理として解釈しています。
しかし、この現代の「常識」は19世紀に入ってからのことです。
それまでは「カロリック」、日本語では熱素と呼ばれる物質が熱の正体であると広く信じられていました。

このカロリック説に疑問を抱き、実験によりそれを否定した1人の科学者がいます。
名をランフォード伯ベンジャミン・トンプソン。
彼はイギリスで科学者として大砲の製造に携わっていましたが
「旋盤で大砲を削り続けていれば、そのうちカロリックは無くなるはずなのに、いつまでも熱が出続けるのは何故だ?」
という疑問から、密閉空間での切削などの実験を行いカロリック説では説明がつかない事例があることを突き止めました。
(ランフォード実験と呼ばれます)

無論、これだけがカロリック説が廃れ現代の熱力学に移行するキッカケでは無いのですが、ベンジャミン・トンプソン氏のランフォード実験が熱力学の歴史において偉大な功績とされることに否定的な声はありません。

我々が当たり前のように「法則」として教わっていることも、大砲を製造する歴史が大きく関わっていたのです。

さて、本題に戻りましょう。

大砲の製造に冶金や加工といった工学が深く関わっていることは説明しましたので、今度は運用面です。

大砲を撃つ上で、非常に重要な事前作業が1つあります。何か?

「測量」

です。

なんで、そんな工事現場みたいなことするの?と思われるかもしれません。

現代の砲撃は基本的に地平線の遥か彼方を狙って撃つ間接射撃が基本です。

直接敵を見て撃つわけではなく、地平線の向こうにいる味方から「地図の、このポイントに砲撃を!」と言われて、計算により弾道を設定して砲撃します。

しかし、そもそも自分達が何処にいて、どちらを向いてるのかが分からないことには「指定されたポイントまで自分たちは何キロ離れていて、どの方角に向ければいいのか」を求められるはずがありません。

今我々は北緯xxx度yyy分zzz秒・東経XXX度YYY分ZZZ秒にいて、目標はAAA度bbb分ccc秒だから、距離は○kmで砲身の角度はyyyyミルに・・・
といった具合です。

また話が前後しますが、砲撃のポイントを指定するための地図も予め用意しておかなければなりません。
しかもただの平面図ではダメで、標高差も着弾位置を大きく左右しますので正確な地形図が不可欠です。

今でこそ国土地理院などが発行する詳細な地図が誰でも購入できますが、時代によっては地図そのものが軍事機密とされたこともあったのです。
(現代でも旧東側などでは地図の入手には制限があると聞いたこともあります)

さて測量が済んだら、今度はまた違う作業が必要です。

「気象観測」

です。

言わずもがな、風は弾道に大きな影響を与えます。
発射地点だけでなく、砲弾が飛んでいく少し高い位置の風速のデータも取らなくてはなりません(観測気球のようなものを使います)

温度も火薬の燃焼速度に影響を与え、砲弾の初速を狂わせる原因となるので必ず計測が必要です。

またこれは砲兵に限らずですが、軍隊の行動には「天候」が大きく左右されます。それ故「天気予報」は軍隊において必要不可欠な技能・学問です。

やっと砲弾を撃てる段階まで進んだとして、今度は前進観測班(FO)が正確に砲撃要請を指揮所に伝えるために、なるべくクリアな通信を実現できる無線機が必要です。不明瞭な通信は誤射・同士討ちに繋がりかねません。

正確な時間を示し、測定することが出来る「時計」も必要です。
富士総合火力演習などを見ると「○秒前!だんちゃーく今!!」と号令が流れていますが、砲撃は秒単位で精密に管理される世界なのです。
故に時計が狂っていると、まともな砲撃は不可能です。

また腕時計の中には外周に数字が刻んであるものがありますが、これはテレメーターと呼ばれます。
雷が光ってから音が鳴るまでの時間で距離を測る理屈で、砲撃の観測班が自分のいる位置から着弾点までの距離を測るのに用いることが出来ます。

砲撃の要請を受けたら砲撃の弾道を割り出す必要がありますが、見えない相手を撃つ間接射撃では照準を定めるのは全て計算の世界です。
砲弾の初速、風による偏向、砲弾重量、更に空中炸裂させるのであれば規定の高度で炸裂させるには飛翔時間○秒経過時に時限信管を・・・など全て計算で求めます。
正確な弾道計算には、当然三角関数など数学の知識が不可欠です。

また砲撃は「射爆理論」と呼ばれる確立・統計学の世界になります。
敵に対して何発の砲弾を、どのように撃ち込めば最大の効果が得られるか、砲兵士官には非常に高い数学的教養が求められるのです。

このように砲弾1発を撃つだけでも、凄まじい数の技術・学問が避けて通れません。

軍事行動は、ありとあらゆる学問に支えられているのです。

意外に関係がある分野

さて、その他にも「それ軍事と関係があるのか?」という分野を幾つか考えてみましょう。

植物に関する学問。

一見、無関係そうに見えますが、関係大ありです。

軍事行動に際して「地形」が重要になるのは言うまでもありませんが「植物」も地形を大きく左右します。

背の高い植物が多いところは視界を大きく制限されますし、歩兵の歩行・車両の通行を妨げるような植物が群生していれば、進軍速度に影響が出ます。

作戦予定地域内において、どのような植物が生えているのかを推測することは情報収集活動の一環として不可欠です。

また森林での活動を想定した迷彩服は、自然に溶け込むことを目的に作られていますので、より良い迷彩服の柄を作るためにも植物に関する知識が不可欠であるとも言えます。

陸の話ばかりになってきたので、少し海の話も。

光の届かぬ深海で活動する潜水艦。

当然、あらゆる工学の知識を結集した技術の塊ですが、その運用においては工学のみならず海洋学の自然科学的な知識も不可欠です。

海の中の潮の流れは潜水艦の水中行動に多大な影響を出しますし、「音」が頼りの潜水艦ですが水中での音の伝わり方は海水温度・塩分濃度などにより大きく変化します。

潜水艦を運用するためには「海そのもの」を熟知しなくてはならないのです。

文系学問は?

さて、筆者が工学畑出身と言うこともあり理系の話がメインになってしまいましたが。

文系の学問は軍事とは関係あるのか?と考えた際、筆者は「大いに関係ある」と思います。

軍事行動とは突き詰めれば「我の意思と敵の意思の衝突」です。
敵軍の動きを予測して奇襲・先手を打つ、逆に相手に出し抜かれないように警戒する。
目的を達成する上において「相手はどのように考えるか」を推測することは必要不可欠です。

相手がどのような考え方を持つかというのは心理学的な側面もありますが、民族学の観点での研究も不可欠でしょう。
その国の歴史や文化などは、意思決定や思考などに少なくない影響を与えます。

軍事学とは「人を知ること」が避けて通れない世界なのです。

また、軍事作戦、特に陸軍の作戦は「敵を倒して終り」とはなりません。

一般に作戦目標を達した後は、その土地の「土地と人」を統べるための統治活動を陸軍が担うことになります。
統治活動を円滑に進めるには現地住民と良好な関係を築くことが欠かせません。そして良好なコミュニケーションとは「相手をよく知ること」から始まります。
「土地と人」について深い理解を得るべく普段から研究をするのは、軍事活動の一環として非常に重要なことでしょう。

また複雑化が進む現代の軍事作戦においては、法律に対する深い理解も求められます。そのため上級司令部の参謀・幕僚組織においては法務参謀または法務官が置かれるのが一般的です。

特にPKO・治安維持活動など国際的な活動の場においては、部隊の行動が法的に正当なものであるか、国連決議などに違反するものでないか、これらに対して十分な配慮を行わなければ一歩間違えれば国際問題です。

現代の軍隊は法律の専門家無くして行動を決定することは、事実上不可能であると言えます。

極めつけは哲学まで

戦争に関する学問は何処までいくのかというと、最終的には哲学まで行き着きます。

そもそも戦争とは、本来「殺人」をタブーとする人間が目的の為に命を奪い合うという、あまりに非日常的な世界です。

何故、人と人は殺しあうのか、戦争が起きるのか。
戦争を終わらせては、一時の平穏の後に、また戦争を始めるのか。

この辺を考えるのも、また広義の「軍事研究」と言えるでしょう。

当然、宗教的な哲学・倫理が強い国では、宗教的側面からの思考もあります。

筆者なりのまとめ

筆者は工学畑ですが、同時に学生時代に人文教養で受講した哲学の世界に強く惹かれました。

もしも仮に「完全な平和」があるとすれば、それは哲学者プラトンが説いたイデアの世界でしょう。

要は、この世に存在する「平和」は不完全なのです。

不完全だから人間は戦争を起こしては、一時の平和を経て、また戦争を始める。

しかし同時に不完全だからこそ、学問を通じてより、その本来の姿を追い求めるのだと思います。

なので筆者なりの考えをまとめると

戦争と学問は、表裏一体である

このような形で、この記事を締めくくりたいと思います。

長々とありがとうございました。

※参考文献

  • 軍事学入門(かや書房)
  • 戦術の本質(著:木本寛明)