書こうかどうか迷いましたが、やはりこんなテーマでブログをやっている以上、自分なりの意見は書いてみたいと思い、ここに記させて頂きました。

陸上自衛隊の日報を巡る問題で、防衛大臣・事務次官・幕僚長という政府・背広組・制服組のトップ全てが辞任する事態に至ったのは、報道などでご存知かと思います。

ここでは、あえてその処分の妥当性や、特別観察の内容については触れません。

私が記したいのは、もっと根本的な部分。

南スーダンPKOに対して、政府は目的を持っていたか、そして、それは現場にも共有されていたか。

「自衛隊が命を掛ける意味」を政府は掲げることが出来ていたのか、というお話です。

「目標・目的」を失うことの恐ろしさ

軍事行動における最も基本的な考えとして「戦いの9原則」というものがあります。

目標・攻勢・集中・節用・機動・統一・警戒・奇襲・簡明

時代や国によって、多少の違いはあれど、多くの国でこの原則は採用されており、軍事行動の基本として位置付けられています。

戦いの9原則は、組織行動においても重要な意味を持ち、特に「目標」と「簡明(簡単明瞭)」は、部隊の士気にも関わるところです。

目標の原則とは、即ち

行動の目標を設定せよ

ということ。

簡明とは即ち

何事もシンプルにまとめることが好ましい

ということ。

この2つを合わせて考えると

「明確かつシンプルな目標を掲げよ」

ということになります。

目標を失った組織ほど脆く崩れやすいものはありません。

危険な任務に値する「目的」はあったか

南スーダン国内の情勢は日々悪化の一途を辿っており、既に内戦状態にあるとの声も挙がっているほどです。

非正規戦闘・内戦の恐ろしいところは、戦線が必ずしも一定ではなく、散発的なゲリラ戦により、何処でも小規模な戦闘状態が起きかねないというところにあります。

日本国政府は陸上自衛隊の活動地域での武力衝突は散発的であり安全に支障無しとの認識を示していましたが、突発的に宿営地周辺が激戦地になる可能性は否定できず、PKO派遣部隊は常に緊張を強いられる状態であったことは間違いないでしょう。

戦場における隊員の心理状態は「生への執着」と「死への恐怖」が支配すると言われています。過酷な訓練を受けた隊員であろうと、人間である以上、「生き残りたい」「死ぬのは怖い」というのは当然あるのです。

先の「明確な目的が必要」というのは、この心理状態に折れないために不可欠なものです。

即ち

「何故、自分は命を掛けて危険な任務に従事しているか」

それを明確に提示出来ない以上、現場の士気は下がり、統制・規律を保つのは難しくなっていくのです。

南スーダンPKO派遣に際して、派遣当初と比較して、ここ1~2年は明らかにリスクが増大しています。
陸上自衛隊、特に幹部は軍事行動・軍事学のプロです。様々な情報から、自分たちに差し迫っている脅威については容易に想像が出来るでしょう。

それでなくてもPKO活動に際しては、いわゆる5原則をはじめとして、武器使用の大幅な制限などが課せられています。
派遣されているのも施設科部隊が中心で、装備品は5.56mmMINIMIと軽装甲機動車が最大の火力・装甲という状態と、はっきり言って無いよりマシ程度の状態と言えます。

法の縛りがあり厳しい条件を強いられている中で、増大するリスクに対して、それを補えるだけの明確な「目的」を、現地へ向かう自衛隊に対して日本国政府は掲げることが出来ていたのか、というのが筆者の最も述べたいところになります。

文民統制とは政府が「目的」を決めること

国連PKO活動の一環として参加している以上、我が国の意思だけで勝手な決定は出来ないでしょうし、また国内の政治的問題なども関与するのは、やむを得ないことです。

しかし、そういった諸々の事情は、現場にとってみれば関係ありません。

先ほども書いたとおり、現場の心理は「生死」が支配するのです。
「貴方が命を危険に晒すのは、他国の顔をうかがわないと撤退の判断が出来ないから」
などと言われて納得する人はいないでしょう。

当然、幕僚長や将官クラスともなれば、政治的な話は避けて通れず、時に諸々の事情を飲み込む必要もあるでしょうが、大元である「政府の方針」が曖昧であれば、彼らも部下に対して明確な目標を掲げることは出来ないでしょう。

文民統制とは政府のコントロール下に国家戦力を置くと解釈されますが、筆者は「国として自衛隊の行動の方針・目的を決めること」、そしてその責任を負うことと考えます。

即ち

「何故、日本国政府は、自衛官の命を危険に晒す任務を与えるのか」

という問いかけに対する答えは、政府として確固たる方針を持つべきなのです。

間違っても、ここで「忠誠心」だの「愛国心」を持ち出してしまってはいけません。
確固たる目的を持って行動する組織であるからこそ、組織の末端までが一つの「組織」として団結するのであって、最初からそれを頼りに曖昧な方針を建てるのは、愛社精神だ社会貢献だのを持ち出して、社員に無理を強いるブラック企業と本質は何も変わりません。

筆者はここ数年の政府が、危険度の増す南ソマリア情勢に対して、それに値するだけの「目的」を掲げていたかと言われると、否定的な意見を取らざるを得ません。

政府側の見解は一貫して「国際協力のため」であり、ここ数年の変化に対する説明がほとんどなかったためです。
「危険度が増しているのに、何故まだ残るのか」
「隊員の命を危険に晒すリスクを増してまで、自衛隊が活動する意義は何か」
こういった内容が少しでも積極的に議論されてきたでしょうか。

少しでもボロが出ればここぞとばかりに叩く野党と、それに乗っかるメディア。
それに気を使うあまり、政治問題化を避けるため、議論そのものを回避していたようにしか思えません。
(当然ですが野党とメディアの姿勢についても問われるべきでしょう)

このような状況下で、最も危険な現地部隊を担う、陸上自衛隊から政府の方針に対する懐疑的な見方が出ても何ら不思議ではないでしょう。

なので筆者は、防衛大臣が誰であろうと、陸自の高級幹部が誰であろうと、遅かれ早かれ問題が出てくるのは時間の問題だったと思います。

そして「腫れ物に触る」ような現状の国防・自衛隊に関する政府の議論姿勢を改善しないことには、今後似たような問題は間違いなく再発するでしょう。

日本ならではの忖度思考

政府の方針のみならず陸上自衛隊にも改善すべき点はあるかと思われます。

本来、組織における命令とは、明確な上下関係のみならず「部下は計画に積極的に意見を行い、自分が納得する形で命令を受領する」が基本とされています。

例えば1週間以内に拠点Aを占領せよという作戦命令を受けた際に「自分の部隊では1週間は・・・の理由で困難である。期日を延ばすか、援軍を求めたい」などと意見を具申するのです。
その上で、上官が命令強行を指示したら、その責任は全て上官が取ります。

上が言ったからやれ、ではなくて、積極的な意見交換で最適な命令にすることが必要なのです。

しかし日本では上の命令に下から意見するのは御法度、上の言った事を無理と言うのはよろしくないという文化があります。

但し、これでは良い方向に進むことは出来ません。

今回のPKOの件であれば、危険が増して部隊の士気を保つのが不可能と考えるのであれば、積極的に「何が必要か」を考え、幕僚長や高官が政府側に具申すべきなのです。
当然、現地司令官も上官に対して、同様に「何故ダメなのか」を具申すべきです。

この「命令を受ける側から積極的に意見を出す」という習慣が定着しないことには、今後より良い方向には進まないと思います。

 

まとめますと、今回の件は、単に隠蔽問題・防衛大臣の責任問題に留めず、政府として自衛隊として、積極的に「何がダメだったのか」議論されるべきです。

そして政府とは国民の代表者である以上、1人1人が「自衛隊が存在する意味」を考える必要もあるかと思います。

あとがき

筆者は元自衛官ではありませんが、それなりに身を危険に晒す仕事に就いていたことがありました。とある設備に関する運転・保守要員です。
会社は「安全第一」「安全こそが我が社の使命」を煩いくらいに掲げていましたが、実態は「面子」や「金」が明らかに重視されており、それは経営とはほど遠い現場から見ても明らかに思えるほどでした。

結局、会社は我々が危険と隣合わせで仕事をすることに対し「安全」という目的を掲げて管理しようとしましたが、現場の末端でも分かるほど見え透いた嘘だった訳です。

そんな状態が延々と続いたので、退職する前1年くらいの現場の士気の低さは、凄かったですね。

結局のところ、立派な建前掲げたところで、それを組織の上の人間が有限実行で形にしなければ、下は誰もその建前に共感しないというのは、前の職場で学んだところです。

「無事故で1年終えたら特別ボーナスだ!」
「事故の少ない奴は、昇給額が増えるぞ!」

こんな分かりやすい目標の方が、よっぽど効果があったと思います。

痛飛行機弐