【備忘録】東京湾での零戦里帰り飛行に思うこと

【備忘録】東京湾での零戦里帰り飛行に思うこと

6月3日・4日に東京湾の空に舞い上がった零式艦上戦闘機、零戦。

筆者は生憎その姿を直接見ることは出来ませんでしたが、大変感慨深い光景だったと思います。

さて、案の定と言いましょうか、太平洋戦争中の戦闘機ということから、多種多様な意見が出ているようです。
今回は個人的に、零戦の飛行について思うことを書いていこうと思います。

筆者のベースたる考えとしては大きく
①道具に意思は無い、道具の使い方は人の意思
②人類の歴史とは即ち戦いの歴史であり、切っても切り離せないものである
この2つがあります。
あと先に書いておきますと、筆者は大学で「工学」を専攻した人間です。

まず、道具に意思は無い。
これは例えが適切かどうかは分かりませんが「刃物」が一番の例かと思います。
刃物は日常生活から生産等の現場まで、人の生活において欠かせない道具の一つです。
しかし便利な刃物も、悪意ある人間にとっては人の命を奪う「凶器」となり得ます。
斧・鉈・包丁、これら本来道具であるべき刃物が、人の命を奪う凶器として使われた例は、最早数える必要もないほど「数多」でしょう。

また自動車も便利な輸送手段・交通手段でありますが、これも悪意ある人間にとっては多くの命を奪える凶器となります。
我々の日常生活に欠かせない、各種の物資を運ぶトラックが、秋葉原の歩行者天国に突入し多くの罪無き人を殺傷した秋葉原連続殺傷事件は、記憶に新しい話です。

その他にも便利に使えば「道具」、使い方次第で「凶器」となり得るものは、いくらでもこの世に存在します。
では、「道具」と「凶器」を分けるものは何か、それは他ならぬ「使う人間の意志」です。

また「兵器」としての見方について、筆者は兵器を兵器たらしめる要素として
「明確な意思を持った軍人が操作・操縦している」
というのは非常に重要な要素だと思っています。

例えば、軍艦は武器を積んでいようが、どれだけの重装甲を施していようが
「国家元首の代行者たる士官の指揮下にあり、その所属を示す旗を掲げる」
これを以って軍艦と定義されます。
素人が乗り込んで旗を掲げぬ船は、軍艦ではないのです。

飛行機も同じではないでしょうか。
正規の軍人たる操縦者が、国防などの任務を抱えて飛ぶからこそ「兵器」であって、民間人が国家・軍の意思から離れて操縦するのは「兵器」ではないと思います。

さて、2点目、人類の歴史とは即ち戦いの歴史という点について。
人類史は農耕による定住生活が始まって以来、戦いの無かった期間など無いと言っていいほど、戦いの歴史が刻まれています。
時に侵略、時に防衛、歴史観にもよるでしょうが、多種多様な戦いを経験して、人類は現在に至るのです。
そして、その中で技術は発展・進化を遂げてきたことは紛れもない事実です。

ここで1つ、熱学の歴史に関する小話を。
今でこそエネルギー保存則や熱力学というのは当然のように受け入れられていますが、実のところ、この考えが生まれたのは人類史においても意外と最近のことです。
時代にすると1840年代、19世紀中頃の話になります。
それまで「熱」の正体は「熱素」という物質が作用するものだと信じられていました。
通称、熱素説、カロリック説と言われるものです。
しかし、これを否定する研究を行った科学者がいます。
ベンジャミン・トンプソン、彼の本業は「大砲の研究」でした。
彼は大砲の砲身を旋盤で削る過程を見て、削れば削るほど熱が無尽蔵に出てくるのは、熱素が熱の正体とするなら説明が付かないと考え、通称「ランフォード実験」と呼ばれる実験により、熱の正体は運動であるという説を投げかけたのです。
最も、彼の功績は残念ながら当時は陽が当たらず、彼は志半ばに亡くなっています。
カロリック説の否定には半世紀の月日が掛かるのですが、現代の熱力学における礎を気付く発見をしたという点において、後世で高い評価を得るに至っています。

小話が長くなりましたが、現在我々が極々当たり前に享受している技術は、元を辿れば軍事に由来する、または軍事の世界で大きな発展を遂げたものがほとんどです。

例えば我々の暮らしに欠かせない「金属」。
古くは、より優れた剣や矢を作るため、近代では強い銃や大砲を作るため。
金属を扱う冶金学の歴史は、武器発達の歴史と切っても切り離せないものです。
先ほどのランフォード実験も大砲を作る中で発見されています。

近年ではナビゲーションシステムのGPSも当然のように使われていますが、これも元を辿れば軍事用途。
無線機の発達で軍隊の指揮は場所と距離の制限が大幅に緩和されリアルタイムに行えるようになり、腕時計の発達は時間測定が不可欠な砲撃観測や、秒単位の正確さを必要とする航空作戦遂行において、多大な貢献を成してきました。

特に第二次世界大戦で発達した技術は、現在の工学において非常に大きな意味を持っており、我々が豊かな暮らしを出来ることと、戦争は深く関係しているのです。

即ち、戦争の歴史を否定するということは、今を否定するということ。
零戦も、戦争の歴史であると同時に、今の日本の歴史の一部。
それを否定するのは、今の我々の暮らしの礎を否定すると同義です。

戦争から目を背けたいなら、武器を使った戦争など無かった時代の暮らしに戻ればいいのです。
まぁ恐らくは石器時代、それも旧石器時代の頃になるかと思いますが。

長々と書いてきましたが
零戦という機械には意思は無く、あくまでもそれを動かす人の意思。
そして零戦は、他ならぬ日本の歴史の一部。今の日本での豊かな暮らしを享受する我々は、歴史を見つめる必要がある。
筆者の思うところは以上です。

 

 

さて、ここから先は若干個人的な感情も交えますので、お付き合いいただける方だけ、お付き合いください。

筆者は、小学校~高校まで、どちらかというとガッチガチの「アカ」な教育を受けてきました。
まぁ、それこそ高校の時に戦闘機パイロットを夢見て「進路希望:航空学生」と書いたら、呼び出し受けるくらいにはアカい学生時代でございました。

「教師の言いなりやんけ」と言われるかもしれませんが、筆者の年代ではまだまだインターネットは一部の家庭で普及している程度で、圧倒的に情報量は少なかったのです。
「自分で調べる」という癖が無かったことは、恥ずべき話ではございますが。

そんな己の恥ずべき過去話は違う機会に置いておきまして、今回、零戦の飛行に反対していた、あるいは苦言を呈している人達は総じて「戦争の象徴」のようなことを言っていた気がします。
確かに零戦と先の戦争は切っても切り離せないのは、既に述べた通りです。
しかし、「先の戦争をイメージさせる」→「そんなものを見せるな」、これは単に「臭いものに蓋」の理屈では無いでしょうか。
70余年の時を経て、日本の空に舞い戻った零戦の飛行を見て、そこで各々が過去を未来を、どのように考えるか、その思考の基礎を作るのが「教育」のはずです。

結局、私が小学校から高校まで12年間教わった「平和教育」とやらは、「臭いものに蓋」の答えありきだったような気がします。

先の戦争から70年以上が経ち、今後戦争を経験した人、特に戦地へ赴いた従軍経験者は途絶えていくでしょう。
その時、結論ありきの「平和教育」で、次世代の人間は本当に先の戦争の反省を活かすことが出来るのか。
「賢者は歴史に学ぶ」という言葉もありますが、大事なことは「歴史から何を学ぶか」、それを各々が考えられることではないでしょうか。