被災地の災害派遣の現場で、道路の泥水・溜まり水で顔を洗っている1枚の写真が物議を醸しています。

災害派遣の自衛隊は被災者に暖かい食事を出して、自分達は冷や飯を・・・
というのも以前から言われている話ですが、筆者はこれらの話を美談やら「反・反自衛隊」とでも言うべき論評に使うべきではないと考えます。

なお最初に申しておきますと、現場で実際に従事されている隊員さんを批判はしません。あくまでも『自衛隊』という組織に対する意見です。

また筆者自身、畑は違えど真夏でも現場で仕事に従事する身です。
35℃を超える猛暑の中、この数日も毎日数リットルの飲み物を飲み干しながら汗だくで仕事していました。
そんな中、目の前に水があれば・・・というのは痛いほど分かります。

そかし、それでもあえて批判する意見を述べることをご理解頂ければと思います。

水害被災地の衛生状態は
非常に危険である

まず述べるべきは、この点です。

水害というと雨水や氾濫した河川の水というイメージがありますが、町が水没するということは諸々を巻き込んで流れ出しているということです。

大雨の際、マンホールから水が溢れかえる映像をよく見ますが、マンホールから溢れ出しているのは「下水」です。
地下を流れている下水管から水が逆流してくるということは、その成分により町中が汚染されているということになります。

ウィルス・病原菌・寄生虫、そういったリスクが水害被災地には付きまとうのです。

そんなところで泥水や溜まり水を使えば、どうなるか?
想像は容易ではないでしょうか。

救助者が救助される側に
なってはいけない

これが個人の健康被害で済むのであれば、御の字かもしれません。

排泄物や嘔吐物などを通じた二次感染が起きれば、最悪部隊全体が深刻な機能停止に陥りかねません。本来働けるはずの人間が動けなくなるのは、出来たはずの仕事が出来なくなるという事で、復興作業全体の進行にとっても悪影響です。

また、容態が安定すれば後送して被災地を離れることが出来るかもしれませんが、少なくとも初期治療は現地でするしかないでしょう。

そうなると感染した部隊そのものが機能を失うだけでなく、救護部隊・医療部隊の人員・物資、これらを身内を助けるために使用しなくてはなりません。

また後送するにも車両や人員を使用することになります。

「救助にいくなら、自分が救助される側にならないように」
というのは様々な救助機関で言われることですが、人や物が足りない被災地で、余計な負担を増やすのは、あってはならないことなのです。

問題の本質は何か

今回の件について考えられる原因としては

  • 感染症、生水の危険などに対する教育不足

これは論外も論外であり、早急に改善すべき事態です。

また教育が十分行われているとして、他には

  • 暑さのあまり、分かっていても不安全行動を取ってしまった。
  • 熱中症の状態で、危険を認知できないほどに疲弊していた
  • 携行している水が足りなかった

「でも暑いなら仕方ないじゃないか」と言われるかもしれませんが、それなら何かしらの手段を講じるのが組織としての、あるべき姿です。

例えば携帯している水の量が足りないなら、補給を増やす。
暑くて体力の消耗が激しいなら1回の作業時間を短くして交代で対応する。

先ほども書いた感染症などのリスクに対して、個々人の「頑張り」やら精神論で対応するというのは組織としてのリスクマネジメントを軽視していることに他なりません。組織としての怠慢です。

休憩時間削ってまで働かせて利益を上げるブラック企業と、本質は何も変わりません。

また冷たい食事を取っている件などに付いて「文句を付ける奴等がいるから、こうせざるを得ない」という意見を述べる方もいます。

確かに「救援に来てる人間が暖かい飯を食べるな」と言う人間は、はっきり言って頭がおかしいです。人を人とも思わない、奴隷かロボットとでも思ってる輩は狂っている、これは断言します。

しかし文句を言われるから、それに従って末端に負担を押し付けるのは、これも組織としての怠慢に他なりません。
悪質なクレーマーも「お客様は神様」と言って、おもてなしだホスピタリティだ言って現場に対応を押し付ける、こちらもブラック企業のあり方そのものです。

ましてや、それを理由に自らの能力不足(食事や水の問題であれば兵站能力の不足)を棚に上げるのは論外です。

 

残念ながら我が国では自己犠牲や苦難を『美徳』『美談』と捉える傾向が根強く残っています。
確かに緊急時に平時と同じだけの水準を期待するのは難しいかもしれませんが、なんでもかんでも「今は緊急時」といって個々人の犠牲を前提にするような形で運営を行うのは、人的資源を消耗する行為に他なりません。

消防隊員・警察官・自衛隊・医療関係者・役所職員etc…
災害の時に奮闘する方々も、その従事者である前に、食事も水も休息も必要な、1人の『生身の人間』なのですから。