PKOの日報問題を受けて防衛省に留まらず政府与党にも大きな波紋が広がっています。

筆者はこの件に関して文民統制・シビリアンコントロールの観点から、政府に対しても非常に厳しい意見の立場です。

政府・文民と『軍事力』である自衛隊のコミュニケーションに深い溝があるのは、健全な状態とはとても言えません。

しかし、今回はもっと本質的なところに振り返ってみて、『軍事力を異国の地に送る』PKOそのものを今一度考えてみたいと思います。

『陸軍』が持つ意味

最初に。
陸軍ではなくて陸上自衛隊、歩兵じゃなくて普通科という話は、あえて無視致します。
日本国政府が何と言おうと、海外から見れば陸上自衛隊は日本国の持つ陸の軍事力「ARMY=陸軍」であり、そこで銃を構える隊員は『兵』です。

さて、陸軍というのは海や空と全く異なる特色を持つ軍事力とされています。

何故か?

陸軍は大地を統べる力

人間は大地で生まれ、大地に生き、そして死後は大地に還ります。

「大地」とは人間の生活の拠点なのです。

そして「大地、そこで暮らす人を統べる力」、これを持つ軍事力は「陸軍」以外にありません。

海軍が艦砲射撃で鉄の暴風を叩き込もうが、空軍が戦略爆撃機により建物を全て焼き払おうが、それは「攻撃」であり「支配」ではありません。

陸軍の歩兵が土地に踏み込み、旗を掲げ、占領を宣言して初めて「支配」なのです。

逆を言えば踏み込まれる側としては、自らの生活のテリトリーに他国の旗を掲げた人間がやってくるということになります。

さて、ここで1つ例え話を。

皆さんは外国人の観光客が増えることに対して、どのように考えるでしょうか?

「旅行客は歓迎」という方は多いかと思います。

では、訪日外国人が民泊で自分の家の近所、あるいは集合住宅なら同じ建物内で宿泊するのはどうでしょう?

「訪日観光客は歓迎だけど、自分の家の周りに見ず知らずの外国人が増えるのはちょっと怖いな…」

という意見の方、少なくないのではないでしょうか?

更に外国人の集団が自分の家の近所に長期間滞在して、独自のコミュニティを構成するようになったら?

筆者は、この各々の質問において意見が変化するのは仕方無しと考えます。

「外国人が自国に入ってくることに拒否感は無い、しかし自分の生活圏・テリトリーに近付き、更に持続的になるにつれて、拒否する心が強くなる」

これは人間が土地に根付いて生活する以上、当然のことなのではないでしょうか。

話を元に戻しましょう。

陸軍が旗を掲げて他国に入るということは、そこで暮らす人々のテリトリーに踏み込む行為であることは先にも書いた通りです。

国連が認めた軍事行動であるから、現地政府の承認を得ているから、確かにPKOの活動において非常に重要なプロセスではありますが、必ずしもそれで現地の住民が肯定的であるとは限りません。

故に『反発』を受けるリスクは必ずあります。

車に石を投げられる程度であればまだ良いでしょうが、現地住民が武器を持たない可能性は否定出来ません。

個人が武器を持つ

海軍の場合、軍艦の武装は基本的に一個人が使用することは出来ません。
駆逐艦相当の艦でも中佐、小型艇でも少佐を筆頭とした「艦」というチームでの動きが基本であり、武器の使用は厳密なコントロール下に置かれます。

空軍も操縦桿を握るのは、基本的に士官候補生としての教育を受けた少尉以上の士官です。
大型機の場合、下士官や兵も乗り込みますが、海軍の場合と同様でその行動は機の責任者である機長により厳密にコントロールされます。

対して陸軍は『個』の集合です。

下士官のみならず、末端の二等兵であっても人の命を奪える『銃』を持ちます。

この点が陸軍という組織の非常に特徴的なところです。

当然、携行している武器を個人が好き勝手に使用することは出来ません。
一般に小隊長などの士官の指揮統率を以って、武器の使用の可否が判断されます。
また兵士にはROE(ルールオブエンゲージメント)、すなわち交戦規定が事前に言い渡され、武器を使ってよいかどうかはROEにより判定されます。

・・・が、あくまで机上の話であると言えます。

兵士も人間です。

戦場において兵士の精神を支配するのは何より「生」への欲求と「死」への恐怖、すなわち「生き残りたい」「死にたくない」であるというのは言うまでもありません。
そして時に、それは理性を超越します。

故に、兵士が銃を持つ以上、その完全なコントロールは不可能なのです。

即ちこれは偶発的、政府・文民の思惑を超えた武器の使用が起こりえるということ。

この政府・文民のコントロールを失うリスクがあるというのは、陸軍・歩兵を送る意味を考える上で非常に重要であると言えます。

自衛隊のPKOはどうか

自衛隊のPKO活動は、いわゆるPKO5原則に則り行われます。

しかし「非戦闘地域」への派遣など、どれだけリスク低減策を講じても、先の2つの要素により政府の思惑を超えた武器使用が起きないという保障はありません。

陸上自衛隊=陸軍を送り込む以上、リスクは必ず付きまとうのです。

それに対して、時の政府はリスクと向き合うことなく、自らの机上の論理を自衛隊がそのまま実行することを望んでいるように思えます。

当然、そのツケは現場が何らかの犠牲を以って補うことになるでしょう。

実際、PKOに参加した隊員が帰国後に「退官」する事例は少なくないと聞きます。

政府が綺麗事を望んでいるツケが現場を圧迫している。昨今の日報問題も、このような恨みつらみから「政府に対する不信感」が露骨に表へ出てきている可能性も否定出来ません。

筆者はPKO活動そのものには賛成の立場です。
国際社会において積極的に日本の旗を掲げて活動することは、安全保障上非常に大きな価値があります。

しかし陸上自衛隊を異国の地に送るということは、海自や空自のそれ以上に「自衛隊員が異国で命を落とす、または人を殺める」、そのリスクと隣り合わせのハイリスク・ハイリターンな安全保障政策である。

これを忘れてはならないと思いますし、政府与党にはその覚悟を以って「文民統制」にあたって欲しいと考えます。

そして普通選挙が行われる我が国においては「国民」も、自衛隊の行く末を決める「文民」であることを忘れてはならないのではないでしょうか。