さらば501飛行隊・RF。空飛ぶカメラマンの歴史。

さらば501飛行隊・RF。空飛ぶカメラマンの歴史。

2020年3月末を以て、航空自衛隊・百里基地で第501飛行隊の隊旗返還式が行われ、偵察航空隊・第501飛行隊という部隊、そしてそこで飛び続けたRF-4E/RF-4EJの長い歴史に静かに幕が下ろされました。

日本の空を飛び続けた「空飛ぶカメラマン」、その長い歴史を振り返ってみたいと思います。



生まれは松島
育ちは入間

茨城県・百里基地でその歴史を終えた第501飛行隊ですが、その歴史を遡ると結成されたのは現在ブルーインパルスが本拠地として使用している松島基地。

当時の機種は航空自衛隊発足直後に米軍から供与されたF-86F戦闘機を改造したRF-86F。遡ること約60年、故・坂本九氏の名曲「上を向いて歩こう」が発売された1961年の年末のことです。

その後、1962年に埼玉県・入間基地へ移転。

現在ではジェット戦闘機の運用を行っていない入間基地ですが、同じ年に松島から第7航空団も移転しており、1960年代の入間基地は首都防空を担う戦闘機部隊の本拠地でもあったのです。
その為、戦闘機のF-86Fと共にRF-86Fも共に入間で運用されていました。

RF-4へ機種転換
百里基地へ

RF-86Fの元となったF-86Fは第1世代ジェット戦闘機として名を馳せた名機ですが、RFへと改造された機体は米軍から供与されたものの中でも初期型の機体が多く、如何せん1970年代に入ると老朽化・機体寿命が無視出来なくなってきました。

航空自衛隊ではこの後継機として、F-4戦闘機の偵察機型であるRF-4Eの導入を決定。1974年に初号機である901号機が日本に到着しています。

なおF-4EJ戦闘機は三菱重工でライセンス生産が行われ、また日本独自の改修が施されていますが、RF-4Eは製造元であるマクドネルから完成機を直接輸入する方式となりました。これは導入数が少ないことや、RF-4Eもライセンス生産とするとF-4EJの調達に影響が出ることを避けたためと言われます。

代表的な違いとしてはF-4EJ改では撤去された空中給油装置。
(ただしこのマーキングはライストイヤーで特別塗装されたもの。普段は描いていなかった)

他にもエンジンがF-4EJ改ではIHIのライセンス生産品なのに対し、RF-4EはGE製がそのまま積まれているなどの違いがあります。

また入間基地では滑走路長が短かったこと、既に第7航空団は百里基地へ移転しており騒音の問題などもあったことから、RF-4Eの導入に併せるように第501飛行隊も百里基地へと移転しました。
(機体寿命の残っていたRF-86Fを入間基地の分遣隊として残すも、こちらも1977年に解隊)

またこの時に「ウッドペッカー」の愛称で呼ばれる、キツツキマークを部隊マークとして採用しています。
(ウッドペッカーと呼ばれているが、正式には「キツツキ」だそうな)

RF-4E/RF-4EJ

RF-4EはF-4戦闘機をベースとしていますが武装は一切搭載されていません。
機首にレーダーは搭載されていますが火器管制能力は無く、あくまでも対地レーダー、地表面の状況を知るための航法用レーダーです。

第501飛行隊の任務は、その高い機動性を活かして時に敵地上空へ進入。
搭載された撮影機材で写真を撮ってくるという、戦術偵察任務です。
その危険性は非常に高く、ベトナム戦争に投入されたRF-101Cは30機以上を損失したと言われています。

F-4戦闘機と同等の高い運動能力は、危険な偵察飛行で生き延びるため、ひたすら「逃げる」ために用いられるのです。

機体に搭載されるカメラは低高度用・高高度用など様々な種類があり、偵察任務の内容に応じて変更されます。

またF-4EJがF-4EJ改へと改修される際、一部の機体を偵察仕様へと改造したRF-4EJも後に導入。

RF-4Eでは機首にカメラを搭載しますが、RF-4EJではその部分に戦闘機としての装備をそのまま残したため、機体中央下部に偵察パイロンという形で偵察機器を吊り下げます。

時に被災地の上空へ

第501飛行隊は災害の度に出動した飛行隊でもあります。

地震・台風・豪雨、様々な災害が起きるたびに、その偵察能力を活かして上空からの写真を撮影。
被災地の状況把握などに役立ててきました。

第501飛行隊・RF-4に搭載される偵察機材は大判のフィルムを用いており、現像とつなぎ合わせによって非常に大きな1枚の写真を作成できるのがメリットなのだそうです。

2020年3月に最後の訓練飛行を終了した後も「もしも出動することがあるのなら」いつでも飛べる状態だったそうですが、幸いなことにその「最後の任務」が来ることはなく引退の時を迎えることが出来ました。

RF-4はなぜ引退

機体自体が半世紀近く運用されてきたために限界に達していることに加えて、RF-4E/RF-4EJの大きなデメリットとして、撮影機材が「フィルム」ということがあります。

フィルムによる撮影は先ほども書いた通り解像度などの点では有利に働くものの、まず偵察機が基地に必ず帰還しないと情報が失われてしまうということ、そして現像・印刷という手順が必要になってしまいます。

複雑な政治的判断も多々求められる現代の軍事作戦において、フィルムという手段はどれだけ画質が良くても残念ながら時代遅れとなってしまったのです。

RF-4Eの後継機は

偵察任務を引き継ぐのはRQ-4グローバルホークと言われていますが、グローバルホークは高高度に長時間滞空するタイプの無人機であり、RF-4が担ってきた任務を肩代わりすることは難しいと思われます。

恐らく、RF-4のような「高い機動力を活かした偵察任務」はEOTS:電子光学式照準システムを搭載するF-35が担うことになるのではないでしょうか。

 

空の上から半世紀、日本各地を撮影してきた空飛ぶカメラマン。

長きにわたる任務、お疲れさまでした。