戦前の日本海軍と、戦後の海上自衛隊。

「良くも悪くも」続いていると言われるその歴史ですが、実は日本海軍から海上自衛隊へと引き継がれた艦艇というのも存在します。

中には掃海艇から迎賓艇へと生まれ変わった船まである、戦争を越えて昭和の時代を見続けた数奇な運命を辿った船たちを紹介していきます。

護衛艦「わかば」

旧海軍と海自、両者に在籍した艦として恐らく一番有名なのがDE-261「わかば」でしょう。

この艦は元々、駆逐艦「梨」として終戦の約半年前、昭和20年3月に竣工するも、そこから僅か4ヵ月後の昭和20年7月。敵襲により沈没します。

・・・時代は流れ、昭和29年。
約9年を暗い海の底で過ごした「梨」は、戦後復興に必要な金属資源として引揚・サルベージされます。
本来であれば解体されて各地の建築物に利用されたのでしょうが、この船体をもう一度「海上自衛隊の護衛艦」として復活させることに。

昭和31年5月まで大掛かりな船体修復工事を経てDE-261「わかば」として、正式に海上自衛隊の艦艇として配属。

その後、横須賀地方隊・第2護衛隊群、実験隊などでの任務に従事した後、昭和46年にその数奇な運命を辿った艦生の最後を迎えました。

駆逐艦・戦闘艦艇として、両方の組織に属したのは、この「梨・わかば」が唯一です。

掃海船
「ちよづる型」
「うきしま型」

終戦により日本海軍は武装解除・解体されましたが、戦時中に日本近海に敷設された大量の機雷を除去する掃海任務に従事する為、海軍省・掃海部や復員庁などと様々な組織で『掃海部隊』だけは引き続き任務に従事していました。
(朝鮮戦争の『日本特別掃海隊』は有名な話ですが、これは語り出すと長いため別の機会と致します)

その為、戦後もそのまま使われ続けた小型艇が数多く存在するのです。

1つは「ちよづる型」として扱われた駆潜特務艇。
MS01「ちよづる」を筆頭に海上自衛隊の前身である保安庁警備隊へ全23隻が移管され、最後の1隻は昭和40年まで活躍しました。

もう1つはMS18「うきしま」をネームシップとする「うきしま型」。
こちらは元哨戒特務艇で、10隻が移管されて昭和39年に最後の1隻が除籍されています。

どちらの船も掃海任務に適した木造の小型船舶であることから、掃海艇として戦後も働き続けることとなりました。

戦後の日本の海の安全を切り開き続けた、小さいながらも大きな功績を残した木造船たちの働きは、船体がFRPに変わりつつある令和の時代まで着々と受け継がれています。

海自初の迎賓艇
「ゆうちどり」

海軍で飛行機救難船として作られた船で「ゆうちどり」は300トン型飛行機救難船・公称1536号として生まれました。

掃海船・掃海艇を示すMSの記号が振られましたが、掃海任務に適さない鉄鋼製の船体であったことから実際の掃海作業ではなく後方支援や司令船として用いられたようです。
朝鮮戦争での掃海任務ではMS62という船名で司令官が乗船していました。

なお同様の船で「おきちどり」という船も存在します。

その後、特務艇ASM-71「ゆうちどり」となった本船、今までとは全く違った任務を与えられます。
それは「東京五輪の迎賓艇」。
飛行機救難船として作られた為、上甲板が大きく開いていたことが迎賓艇として適していたようです。

『ゆうちどり』は当時としては精一杯の装飾を施され無事にその任務を果たし、海上自衛隊の初代迎賓艇として昭和52年まで活躍。
後任の『はやぶさ』にその務めを譲り、昭和53年にその艦生を終えました。

現在は「はしだて」が、その任務を引き継いでいます。

この時既に『ゆうちどり』は旧海軍と海上自衛隊の双方に在籍した最後の1隻であり、本船の退役を以って海上自衛隊で旧海軍から引き継がれた船は全て引退することとなりました。
(海上自衛隊に限らなければ『宗谷』が健在)

激動の時代を生き延びた船が、最後は平和の祭典である五輪の迎賓艇となる。
船の数だけ歴史があるものです。

※参考資料

  • 会場自衛隊全艦艇史(海人社)
  • 朝鮮動乱特別掃海史
    (海上幕僚監部発行・掃海OB等の集いによる写書)