初等練習機T-5・T-7。脈々と受け継ぐメンターの系譜。
戦闘機、輸送機、哨戒機、救難機など。
各分野で活躍する自衛隊のパイロット。
超音速の戦闘機や、大量の積荷を運ぶ輸送機のパイロットでも、そのパイロットとしての道は皆同じ初等練習機から始まります。
航空自衛隊ではT-7、海上自衛隊ではT-5を初等練習機として採用していますが、この2機種。実は切っても切り離せない縁があるのです。
今回は、そんな自衛隊の初等練習機の話を紹介していきます。
航空自衛隊
T-7
航空自衛隊では操縦課程の第1歩として、静浜基地(静岡県)または防府北基地(山口県)の何れかでT-7初等練習機による訓練を行います。
操縦訓練の初期においてはエンジンレスポンス(応答性)の良いレシプロエンジン機が望ましいそうですが、T-7においてはターボプロップ式のエンジンが採用されており、これは航空自衛隊で使用する燃料の統一を図るためと言われています(レシプロ機はジェット燃料ではなく、航空ガソリン・AVGASが必要)
搭載されたターボプロップ式エンジンは小型飛行機の代名詞とも言えるセスナC172に積まれているエンジンの160馬力と比較して2倍以上の420馬力を出す事が出来ます。
しかしC172の最大離陸重量約1200kgに対して、T-7は約1600kg。
400kgの重量増に対して、エンジンの馬力は2倍以上。
これは初等練習機としては出力過剰すぎるということでエンジンのリミッターが掛かっているそうです。
T-7での訓練を終えると、戦闘機操縦士候補はT-4練習機、輸送機・救難機操縦士候補はT-400による訓練へとステップアップしていきます。
ちなみに後に回転翼のUH-60Jに配属されるパイロットでも最初はT-7です。
海上自衛隊
T-5
海上自衛隊では最初の操縦訓練を山口県の小月航空基地・小月教育航空群201飛行隊が一括して担当。この部隊のコールサインは初等訓練らしい「ルーキーフライト」が使われています。
(陸自LR-2操縦士候補生も此方で訓練)
航空自衛隊と同様、後に回転翼操縦士となる者も最初はT-5によるフライトです。
T-5はT-7と異なりキャビンが並列複座式で教官と訓練生が左右に並ぶ形となりますが、これは海上自衛隊で使われている機体は基本的に並列複座式のため。
またT-7が定員2名なのに対し、T-5は後部座席が存在し機長+副操縦士の他に2名の搭乗が可能となっています。
同じ初等練習機でも、どのような訓練を望むかという空と海の違いが設計に反映されています。
なおT-5もT-7と同じエンジンが搭載されており、T-7同様エンジン出力はリミッターが掛かっているそうです。
(燃料の統一でターブプロップを採用というのも同様の理由)
T-5での訓練後、固定翼操縦士は双発機のTC-90、回転翼操縦士はTH-135での訓練へと進みます。また一部の訓練生は哨戒機の指揮官となるTACCO・戦術航空士としての訓練へと進むことになります。
T-5とT-7
実は御先祖は同じ?
同じエンジンのT-5とT-7ですが、エンジンどころかこの2つの機体はむしろ共通のご先祖様を持つ血を分けた兄弟のような機体と言えます。
採用されたのはT-5の方が早いですがT-5の原型機はKM-2Dという機体。
更にT-7はKM-2Dを縦の複座式に改造したKM-2Fという機体を元にしています。
しかもKM-2FはT-5の開発の役目を終えたKM-2Dを改造した機体なので、実はどちらも遡ると同じ機体から生まれているのです。
KM-2は元々海上自衛隊で使用されていた練習機で、T-34メンターという機体の派生型。
T-34メンターは戦後間もない時期の自衛隊操縦士養成に多大な貢献をした機体であり、後に富士重工によりKM-2を含め多くの派生型を生み出しました。
(T-7の前身にあたるT-3もKM-2の改造型です)
なのでT-5もT-7も御先祖様を辿っていくと、T-34メンターという共通の機体に行き着くのです。
(所沢航空発祥記念館展示機)
自衛隊のパイロットを生み出す礎となっている初等練習機。
そのDNAは自衛隊発足時に使われたT-34メンターから脈々と受け継がれていると言えるのかもしれません。
※参考資料・URL
- 海上自衛隊小月教育航空隊HP
- 海上自衛隊HP(装備品紹介)
- 航空自衛隊HP(装備品紹介)
- 世界航空機年鑑1988
- 青空のした ひるね FUJIメンターの系譜
(http://plane.boo.jp/fhimenter01.html)
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