コロナ禍で『高齢者を守ろう』はそろそろやめるべき

タイトルだけ見て

「そうだ、重症化や命の危機になるのは高齢者だけだ!若い人間には関係ない!」
とか、もっと過激に
「年寄りの命より、若い人間の方が大事だ」

と思った方。

申し訳ありませんが、この文章の結末は全く異なります。

そもそも筆者自身が感染症対策には極力協力している人間です。
1年間仕事を頑張った御褒美に予約していた旅行も緊急事態宣言でキャンセルしました。
友人・知人との会食や飲み会も避けていますし、マスクの着用も欠かしません。

「コロナ禍の早期終息、年代に関わらず1人でも犠牲が少なくなる為にはどうすればよいか」、その為には今の若い世代へのアプローチが間違っているので軌道修正すべきだ、というのが結論です。

このブログを普段読まない方もいらっしゃるので簡単に自己紹介致しますと、私はいわゆる「リーマンショック世代」と言われる就職活動~社会人初期にリーマンショック不況の影響が直撃した世代です。
私の場合、内定切りに怯えながらも就職は出来ましたが入社後の影響が大きく、過労死ラインで働いた結果うつ病を発症。寛解に5年以上要しました。
新卒で入った会社は寛解を待たずして精神疾患に理解の無い役員に目を付けられ、追い出されるように退職。
うつ病を抱えながらもなんとか再就職して現在に至ります。

 

自己紹介はこの程度にして、本題に戻りましょう。

昨今のコロナ禍において度々呼びかけられているフレーズとして
「若者の行動が高齢者を救う」
「高齢者を守りましょう」
先日の都知事のナシ・ナシ尽くしの会見が極端な例でしたが”高齢者を守るために若者の行動が必要だ”という趣旨のものが多く見られます。

しかしこれは正直、当事者世代の心に響かないどころか反感を買って逆に従わない人間を増やしてしまうと思っています。

何故か?

いわゆる失われた30年、就職氷河期、リーマンショック。

ずっとこう言われてきました。

「生まれた時代が悪かった」

誰も悪くない、君達は運が悪かった

「自己責任」

誰を恨むでもなく自分で「がんばれ」と、不平等や運の悪さを乗り越えるには自分の努力でなんとかしろと。
少なくとも自分と同年代の同僚たちはこの「自己責任」という観念が強く染みついています。

なので「まず自分たちで何とかするのが筋ではないのか?」と思ってしまうのが本音です。

また、仕事で更に下の世代の教育担当もやっていますが、自分たちの「自己責任」とは少し異なり損得勘定の割り切りがはっきりしている、自身の利にならないことははっきりNOという傾向があるなと感じます。これはこれで当人たちが経験してきた環境が培った感性なのだと思います。

彼らにとって自分たちに利益の無いことを強いられるというのは、我々以上に理不尽な感情が強いのかもしれません。

それでなくても、少子高齢化により社会保障の為に現役世代が払う保険料は増加の一途です。

シルバー民主主義、世代間格差、逃げ切り世代、などという言葉もありますが現役世代にとって高齢者世代を支えるための負担は重く圧し掛かっています。

こんな中で「高齢者を守るために若い世代は苦痛に耐えろ」と言われても、反感の方が強いでしょう。

 

では、どうするべきか。

「高齢者を守るため」ではなくて感染症拡大を食い止めることは若い世代自身にとっても利益になるというアプローチの訴えかけに変えるべきと思います。

若い世代が自らの利益の為に感染予防措置を取る、それによって副次的な効果として高齢者への影響も避けられる、と。

そんなこと言っても若い自分たちには利益は無いと思われるかもしれません。

ただ自分からは1つだけ、はっきりと利益になると言えることがあります。

『後遺症』のリスクを避けられることです。

新型コロナ感染後の後遺症として倦怠感・脱毛など年代を問わずに様々な症例が報告されているようですが、個人的に衝撃を受けたのは『味覚障害』

自己紹介に書いた通り、私は過去にうつ病を患いましたが、この際に味覚障害を経験しています。
味を感じない食事とはどのようなものか?

“作業”

です。

生きるために栄養を口から補給する、ただの作業。楽しみも喜びもなにもありません。

人によっては「泥団子を食べている気分」「パンが段ボールの切れ端」などと表現する方もいます。

これをもう一度経験するくらいなら、息苦しくてもマスク着けてる方がよっぽどマシです。

友人や知人、あるいは恋人との食事は楽しいと思います。

ただ「食事自体の楽しみを失うリスク」と天秤に掛けた時、どうでしょうか?

この他にも経済的なメリットや医療提供体制が回復することによるメリットなど、色々と考えられますが此方を語るには私自身の知識はあまりに乏しいので割愛します。

味覚障害は本当に辛い、生きる気力すら無くなる、そのリスクが減るだけでも感染防止はやる価値がある

己の経験からこの点だけを語りたいと思います。

 

最後に、もしもこれを読んでいる高齢者の方がいましたら。

生まれた時代が悪いんだ、自己責任だという我々世代が散々言われた言葉を投げ返したいのは本音ですが、それはこの場限りで胸の奥にしまいます。

ただいわゆる就職氷河期以降を生きてきた人間が上の世代にどれだけ複雑な思いを抱いているか、少しだけ考えてくれたら有難いです。

(以下、投稿翌日2月5日に追記)

また、いないとは思いますが政治家の方。

正直に申し上げて「若い世代への協力呼びかけ」が本心なのか、それともポーズなのか、あるいは高齢者に支持される為の言葉なのかは分かりません。

ただ、何か相手に自分の要求を聞いてもらう時、例えば営業がお客さんに売り込むときにいきなり一方的に乗り込んでプレゼン始めるでしょうか?
それは営業じゃなくて”押し売り”でしょう。仮にそれが正論だとしても、です。

まず「この人の話を聞いてみてもよい」と思えるだけの信頼関係を得ること。
氷河期以降に”自己責任”の世界で生きてきた若い世代と政治・行政の間には、コミュニケーションの第一歩とも言える、そのプロセスが欠けているのだと思います。
先ほども言った通りそもそも耳を傾ける意思が無い相手にどれだけ言葉を語っても、右から左へ流れていくだけなら良い方で「何を言ってるんだこいつは、迷惑だ」と思う人も出るのは当然ではないでしょうか。

また仮に話を聞いてもらえる段階になったとして一方的に要求を通そうとしても上手くいくはずがありません。
誰だって損得勘定、利害を考えて生きているのです。
「要求を受け入れることで、どのようなメリットがあるか」
を語る必要があるし、その為には相手は何を欲しているのか、相手のことをよく知る必要があるでしょう。

まず信頼を得て「話を聞いてもらうこと」、そして相手のことをよく知ること。

そこから始めないと、仮に本心からの言葉でも相手の心には届かないと思います。

(追記分終わり)

 

1日でも早く日常が戻り、美しい桜の季節が迎えられることを願って。