カワサキか・・・じゃない?生まれの違う2機のC-1

カワサキか・・・じゃない?生まれの違う2機のC-1

後継機のC-2に少しずつ任務を譲りながら、未だ第一線で活躍するC-1。

日本にとって戦後初となるジェット輸送機の製造元は「川崎重工」ですが、実はすべてのC-1が川崎製でないというのは御存じでしょうか?

今回はC-1の中でも「生まれの違う」、ちょっと変わった2機のお話です。


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C-1の開発元は川崎じゃない

航空機年鑑などでも川崎C-1と紹介されているC-1輸送機ですが、実はその開発を行った企業は川崎ではありません。

C-1の開発を行ったのは日本航空機製造、戦後初の民間旅客機YS-11を製造するために立ち上げられた会社です。

日本航空機製造ではYS-11の開発を行ったのち、当時の自衛隊が使用していたC-46輸送機の後継機となる戦術輸送機の開発に着手。

現在C-1FTBとして岐阜基地で活躍している001号機が試作機・XC-1として1970年に初飛行を果たしましたが、ここで一つ問題が起きました。

C-1の製造は違法?

C-1の開発において問題となったのが、特殊法人(他の例で言うと日本放送協会NHKなどと同様)である日本航空機製造を設置する根拠となっていた、航空機製造事業法と航空機工業振興法という法律です。

航空機工業振興法成立時の付帯決議には

民間の輸送用航空機等の国産化の促進による航空機工業の振興を図るところに…

という一文があった為、この「民間の輸送用航空機等」という部分を巡り、C-1輸送機について激しい論戦となりました。

XC-1初飛行から4年後の、1974年の(第71回 衆議院予算委員会 第24号)に問答の記録が残っており

「現在使っているのは自衛隊だけ(民間が使う可能性も無くはない)」
「空挺隊員乗せる性能持ってる飛行機が軍用機じゃないというのか?」
「将来、民間輸送にも転用できる可能性がある」

など与野党で激しい議論となりましたが、流石にC-1輸送機を「民間(にも使える)輸送機」と言い張るのには当時の内閣にも無理があったようで、この日の国会予算委員会において「付帯決議の趣旨に反する為、善処する」と当時の総理大臣が発言し

「日本航空機製造にC-1を製造させることはNG」

という決着となりました。

(ちなみに、この時の総理大臣はかの有名な故・田中角栄氏です)

ただし、これに先行して川崎重工との間で1972年に量産機の製造が契約されている為、この国会での議論自体は川崎重工へ製造を移行するのが決まった後の話ということになります。

 

かくしてC-1は開発元である日本航空機製造の元を離れて「川崎C-1」となりましたが、既に当時2機のC-1が製造済でした。

1機は先ほどのC-1/FTBとして活躍している001号機、もう1機がXC-1から量産仕様に改修された002号機。

この2機だけが「川崎重工製じゃない、日本航空機製造生まれのC-1」となったわけです。

ちなみにC-1は既に1桁の機番はほぼ退役、10番台も19号機を残すだけとなっていますが、001/002共に現在も現役で空を飛び続けています。