さらばオジロファントム。激動の空を飛んだ鋼の翼。

さらばオジロファントム。激動の空を飛んだ鋼の翼。

この春、長い国防の任務を終えて、静かにその翼を休めようとするものがあります。

「オジロワシ」の愛称と、その雄大な鷲のマークを掲げた百里基地・第302飛行隊のファントム達です。

オジロワシのファントム達は、航空自衛隊の中でも歴史的な事件に幾つも立ち会ってきました。

その翼の軌跡を今回は紹介していこうと思います。


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北海道生まれの
オジロワシ

第302飛行隊はF-4EJファントムを配備する部隊として1974年、北海道の千歳基地でその歴史をスタートしました。

その代名詞とも言える尾翼のオジロワシ(尾白鷲)のマークは、その鷲が住む北海道で部隊が生まれた名残なのです。

オジロワシマークは航空自衛隊の部隊マークでも最も大きいもので、縦725mm、横1075mmのサイズがあります。

青い翼が3、白い尾で0、脚で2を現すマークは部隊創設以来40年以上使われてきた伝統のマークです。

ベレンコ中尉
亡命事件

第302飛行隊は過去に2回、大事件を経験していますが、その1回が昭和の大事件の1つとしても有名な「ベレンコ中尉亡命事件」。

北海道の本土領空侵入コースを取った旧ソ連のMiG-25に対して、領空侵犯措置に飛び立ったのが他ならぬ第302飛行隊のファントムだったのです。

もっともF-4EJの装備するレーダーでは低空進入するMiG-25を発見することは出来ませんでしたが、この痛手は後にEJ改として生まれ変わるファントムの改修計画に活かされることになります。

警告射撃事件

第302飛行隊は異動の多かった飛行隊でもあります。

千歳での任務開始から10年と少しが経った1985年、第302飛行隊は生まれ故郷の北海道を離れ、全く真逆とも言える沖縄県・那覇基地へと移動します。

ファントム時代の302、その最後の飛行隊長となった仲村二等空佐のTACネーム「シーサー」は、まだ沖縄にいた頃の302飛行隊に着任した時のものだそうです。

当時の日本の防衛体制は対ソ連を見据えた北方重視でしたが、北を離れた302飛行隊は沖縄でも大きな事件を経験する事になります。

2019年現在、航空自衛隊の歴史で唯一となる「実弾」を警告射撃した、領空侵犯機警告射撃事件です。

時代は昭和の終りが見え始めていた1987年12月9日。
沖縄本島に接近した旧ソ連機は、対領空侵犯措置に上がった航空自衛隊の警告を無視して領空へ侵入。沖縄本島の領空を侵犯したことから、航空自衛隊において初となる20mm機関砲の実弾を用いた警告射撃が実行されました。

更にソ連機は沖永良部島の領空を再度侵犯、302飛行隊のファントムはこれに対し二度目の実弾警告射撃を行っています。

オジロワシの、その眼光は歴史の重大な事件を見つめてきた瞳でもあるのです。

ファントムネスト
百里基地へ

沖縄での大事件を経験後も、オジロワシのファントムは沖縄防空の任務を続けた後、2009年に航空自衛隊にとってファントムの故郷とも言える茨城県・百里基地へと移動します。

百里基地はファントムの最初の飛行隊である第301飛行隊発祥の地でもあり、新谷かおる氏の漫画『ファントム無頼』でも描かれたファントムに所縁の深い基地と言えます。

また後に新田原基地から第301飛行隊も百里基地へと凱旋し、ここ数年の百里は第301・302、そしてレコンファントムの第501飛行隊というファントム飛行隊3つという、まさにファントムの住処・ファントムネストとして多くの航空ファンを盛り上げていました。

しかし、その時間も長くは続かず。

2017年の防衛省の予算資料にて、三沢基地で生まれるF-35A飛行隊が『第302飛行隊』であることが発表され、オジロワシのファントムが2018年度を以ってその姿を消すことが発表されました。

またオジロワシのマークについても未だ明言はされていませんが、恐らく残らない可能性が大と言われています。

最後の年度となった2018年度は302sq F-4 Final Yearとして「去り往くオジロワシ」をテーマとしたスペシャルマーキング機も製作され、生まれ故郷の千歳基地や長く任務に就いた那覇基地など全国へのツアーを敢行。

更に地元・百里基地の航空祭においては、全国ツアーを巡ったホワイトのスペマと対になるブラックファントムもその姿を現し、2機でAGG(対地攻撃)のデモを行うという、最後の航空祭に相応しい勇姿を披露してくれました。

そして年が明けて3月2日、白黒2色のスペマ機がファントムの運用を終了する記念式典を彩り、その長い歴史の最後を彩りました。

(画像は記念式念以前に撮影したもの)

幾つもの歴史的な事件に立会い、激動の時代を空から眺めた鋼の翼は約45年の任務を終えて地上で翼を休める時を迎えるのです。

自分にとってオジロワシを纏ったファントムは、本格的に飛行機の写真を撮るようになった時期に一番多く撮ったことから、思い入れのある姿です。

その姿を見れなくなるのは非常に寂しいですが、戦闘機が1度の実戦も経験せずに翼を休めるのは幸せな事。

自分が生まれるよりも前から飛び続けたオジロワシの翼。

ありがとう、そしてお疲れ様でした。

※参考文献

  • F-4ファントムⅡの科学(著:青木謙知)
  • 永遠の翼 F-4ファントム(著:小峯隆生)
  • 世界の傑作機 F-4E,F,Gファントム(文林堂)
  • 各年度 防衛白書(防衛省)