筆者の3・11
このブログを始めてから、初めての3.11を迎えるということで、普段とは趣を変えまして、筆者自身の話をさせていただければなと思います。
他ならぬ自身が体験した3.11の話です。
最初に断っておきますと、筆者は東京在住で東北沿岸には所縁はありません。
故に、大切な誰かを失った、財産を失ったということは幸いなことにありませんでした。
しかし、それでも3.11という1日は自分自身の人生で、やはり大きな1日だったのです。
帰宅難民
地震発生当時、私は休日で千葉県南房総の東京湾沿いにおりました。
ちょうど海上自衛隊館山航空基地の近くだったかと思います。
運転中でしたので、揺れを感じたというよりは「ハンドルが不可解な感覚」だったのをよく覚えています。
大きな横揺れで車体が流されていたんでしょうね。
そこから震度7の大地震が起きたことや、津波警報が出ていることを知り、内陸に避難。
途中、踏切が壊れて閉まったままになっているので、そこを強引に通るために、人生で初めて発炎筒を使ったりもしました。
避難場所でワンセグの画面に津波に襲われる沿岸部の映像が映ったときは、「ついさっきまで海の近くにいた」ということに、他ならぬ死の恐怖を感じたことを未だによく覚えています。
その後、都内の自宅を目指して走り出すも、道路は完全にマヒ。
電車も動いていないし、都内へ帰る術が存在しない。
結局、市役所の御厚意で避難所に一晩お世話になりました。
深夜の町中で、余震の中を行くアテも無く彷徨った末に、「安心して寝れる場所がある」という有難さは、本当に感謝してもしきれないくらいです。
道中、困り果てた自分に、「○○のホテルは客室が多い。まだ空きがあるかもしれない」「ここの近くに宿泊所がある。雑魚寝でいいなら泊めてくれるかも」など、地元の方が積極的に助けの手を差し伸べてくれた事も、本当に有難かったです。
見知らぬ他人でも助けてくれる、その暖かさを感じ、自分も人にそれを返さなければいけないと感じた1日でした。
結局、帰宅できたのは翌日の昼頃です。
しかし会社からは「とにかく人手が足りない。帰宅次第、こちらに来てくれ!」と言われていたので、休む間もなく会社へ向かいます。
会社編
当時の自分は首都圏某所で、設備管理の現場部隊にいました。
なので「とにかく来い!」という命令は致し方ないのです。
実際、地震発生の時に居合わせた面子は、夜を徹して作業していましたので、それに比べれば避難所で一晩寝させていただいた自分は、まだ働ける方です。
現場は地震で、かなりダメージを受けていました。
特に天吊の設備類は大きな横揺れの影響を受けたらしく、ひどい有様でした。
自分も結局、一晩中、補修やら調査にあたって、寝れたのは2時間あったかどうか。
で、恐らく生涯忘れることの出来ないであろう出来事が、この翌朝。
地震発生から3日目の朝に起きます。
建物内では、お偉いさん達が巡回を始めていたらしく、朝一から電話で呼び出されました。
「これは不自然な感じがする。落下の危険が無いか、すぐに調べろ」
天井吊りの設備が曲がっているように見えるから、安全かどうか判断しろ、ということでした。
確認するも、固定状態に問題は無い。
けど、あれだけ大きな揺れ。支持具の目に見えない亀裂・クラックは否定出来ない。
私は正直に「外観上の問題はありません。しかし、安全であるかを判断することも難しい状態です」と報告しました。
役員からの返答は「俺はそんなことが聞きたくて呼んだんじゃない!!」
声を荒げての罵倒でした。
正直、地震発生からの疲労もピークに来てたこともありますが、しばし呆然としましたね。事実をそのまま報告したにも関わらず、まさか罵倒されるとは。
結局、当時の上司が応援に来てくれて、その場を収めましたが。
帰宅難民化した時に、多くの人に助けてもらった事が、この震災で経験した「日本の良い一面」なら、こちらは間違いなく「悪い一面」です。
判断の責任を丸投げした挙げ句に、罵詈雑言を吐けるような人間が、それなりの規模の会社で経営に関わる立場にいる。
本当、恐ろしいと感じました。
震災を通して
東日本大震災で「日本を見直す機会になった」という声は多く聞かれますが、自分は「良い一面も沢山再認識出来た。けど悪い一面も浮き彫りになった」と思っています。
譲り合いや助け合いがある一方で、各地でスーパーの買占めが起きたのが、その典型的な例だと思います。
筆者の好きな言葉で「賢者は歴史に学び、愚か者は経験に学ぶ」というのがあります。
自分の経験ばかりで物事を考える人間は愚かであり、積極的に歴史、すなわち他人の体験を自分の考えに取り入れなさいという内容です。
良い面も、悪い面も、どちらも後世に語り継ぎ、後進が賢き判断をしてくれるための「歴史」だと私は思います。
また、筆者は先ほども書いたとおり、設備管理の最前線にいた人間です。
震災直後は「やっぱり頼りになるな」「現場の奴等がいてくれないと」という声もありましたが、最近では「あいつら何の役に立ってるの?」という声が、また平気で聞こえるようになってきています。
当然、普段から「変わらない日常」を守るために、電気・水道など各種インフラや、設備管理の人間は、地道に仕事をしているわけですが、「非常時に備える」というのも大事な仕事なのです。
同業者からも震災直後は、必死の復旧作業にあたったという話をよく聞きます。
けど戻ってしまうと、また「裏方」として存在が忘れ去られてしまう。
なんとも悲しい話です。
「百年兵を養うは一日これを用いんがためである」
我々が非常時にスムーズな対応が出来るのは、普段の仕事で積み重ねた技術・知識の成果です。
突然、呼び出されて対応しろと言われても、まともな戦力にはなりません。
「いつか起きるかもしれない1日」のために働く人間がいることを、この3.11という日に思い返していただければ幸いです。
最後に、犠牲になられた方々の冥福と、東北のさらなる復興を願って、結びといたします。
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