ブルーインパルス
ブルーインパルス
このページを訪れた方なら、一度は名前を聞いたことがあるのではないでしょうか。
正式名称は
航空自衛隊 航空教育集団隷下 第4航空団 第11飛行隊
航空自衛隊の中で唯一の「パフォーマンス」を専門とする航空隊として、日本各地で華麗な演技を披露しています。
ブルーインパルス その歴史
ブルーインパルスの歴史は、航空自衛隊の発足当時に遡ります。
初代・F-86F
1960年、航空自衛隊、最初の航空団である浜松基地の「第1航空団」。
その所属である第2飛行隊内部に「空中機動研究班」が発足。
その後「特別飛行研究班」に名称が変更され、この際に「ブルーインパルス」の愛称が誕生。初代使用機はF-86F戦闘機です。
なお最初はブルーインパルス専属のパイロットはおらず、F-86F飛行教官が全て兼任、チームも5機編隊の形でした。
ちなみに当初は「浜松のシンボル・天竜川から【天竜・TENRYU】はどうだ!?」との声もあったそうですが、「米軍基地の管制官に発音難しいのでは?」などなどの理由により却下されたとのこと…
その後、かの有名な東京五輪での五輪マークなど実績を重ねますが、第2飛行隊が解散したのに伴い、第1飛行隊に所属を変更。
名称も「戦技研究班」に変わります。
大阪万博で空にEXPO70の文字を書くなど、更に国民に広く知られる存在となり、1976年には6機編隊での演技も初披露。
しかし、この頃には既に航空自衛隊の主力機はF-104に移り、更に最新鋭のF-4EJファントムⅡの配備も開始。
既にF-86Fは経年劣化も激しく、1981年を以って、初代ブルーインパルスはその役目を後継機に譲ります。
二代目・T-2
F-86Fが引退した事で、その所属部隊も全て解散になった為、ブルーインパルスは第4航空団・第21飛行隊・戦技研究班となり、所属基地も現在の松島基地へと移ります。1982年のことです。
T-2は超音速練習機という特性上、高い出力がある反面、小回りが利きにくく、一度観客の前を通り過ぎると、戻ってくるのに時間が掛かるというのがネックでした。
その為、「ソロ科目を増やす」ことで演技の感覚を短くすることが決定。
初代とは異なり最初から6機体制を基本とすることになります。
小回りこそ利きにくいものの、高出力のエンジンを最大限に活かしたパワフルな演技は二代目ブルーの大きな特徴です。
苦難の時代
発足間もない1982年11月、浜松航空祭の展示中に一機が基地外周へ墜落。
それまでにも訓練飛行での事故はありましたが、本番展示飛行での墜落は初代も含め初の事態であり、ブルーインパルスは大きな危機に陥ります。
ブルーインパルスのパイロットは「戦闘機パイロット」です。しかし戦闘機パイロットは、やはり戦闘機に乗ることに強い拘りがあります。
当時は飛行教官兼務で曲技飛行の練習も重ねていたため、時間的な余裕も無く、結果的に長く戦闘機部隊から離脱する事に抵抗を感じるパイロットも多くいたそうです。
また毎週末のように飛行展示を行う都合上、パイロットは教官としての職務と自身の訓練を行いつつ、週末は遠征という非常にハードなスケジュールをこなすことになります。
更に人員不足・錬度不足などから時に6機体制の維持すら不可能になり、1991年には訓練中に2機を失う事故が発生。
機体もパイロットも限界となり、4機体制での展示が長く続きますが、1995年のラストイヤーでは「6機で有終の美を飾りたい」という関係者の尽力もあり6機体制が復活。
この間、既に後継機T-4の導入準備も進んでおり、1995年は臨時飛行隊として結成されていたT-4と、二代目T-2の共演も実現しています。
最後は設立当初に事故を起こした浜松基地で6機で飛行を行い、多くの苦難を乗り越えた二代目ブルーインパルスは1995年12月に解散。
三代目T-4へ役割を譲ります。
三代目・T-4
二代目T-2での反省を活かし、三代目T-4ブルーインパルスは、初めて独立した一個飛行隊としての立場が与えられました。
これにより曲技飛行要員として訓練に専念出来ることで、環境の改善・錬度の向上を果たすことが出来ました。
1994年には「臨時・第11飛行隊」として発足。二代目T-2とも共演を果たし、二代目ブルーインパルスと入れ替えの形で「第4航空団・第11飛行隊」が正式に発足します。
その後、初の国外遠征、長野五輪など展示飛行を重ねていきますが、2011年の東日本大震災でホームの松島基地が被災。
当日、飛行展示の為に展開中だったブルーのクルーと機体は難を逃れましたが、松島基地は使用不能のため、芦屋基地を仮住まいとして、築城基地の訓練空域を借りて、部隊機能を継続することに。
2013年3月、松島基地の機能が復旧した事により、ホーム松島基地へ帰還。
現在に至ります。
何処に行けば見れるの?
ブルーインパルスの飛行は「広報」ということもあり、そのスケジュールは細かに発表されています。
例年、5月頃から飛行展示を開始して、12月頃まで各地を飛び回ります。
(1月~4月はイベント自体が少ないこともあり、ほとんど機会はありません)
ブルーインパルスが飛行展示を行う形態として
航空祭
滑走路を有した基地に展開して、航空祭のプログラムで離陸~着陸までの全科目を披露するスタイルです。
ブルーインパルスの展示飛行で最も基本的なスタイルです。
離陸前のタキシング走行もブルーにとっては演技の一つ。
見事な等間隔で綺麗に進んでいきます。
リモート展示
展示飛行を行う基地の滑走路がブルーの展示に必要な条件を満たさない場合や、市街地上空など、そもそも滑走路の無い場所が会場になる場合、他の基地をベースとして、会場上空へ移動して展示を行います。
これを通称「リモート」といい、関東・首都圏での飛行では入間基地などがリモートのベース基地として、よく使われます。
練習見学
ブルーインパルスの所属する松島基地では広報の一環として、基地上空での訓練を事前に予告・公開しています。
基地上空での訓練は航空祭を想定して行っているため、航空祭の内容に近いものを見学する事が出来ます。
但し、あくまでも「訓練」なので、何が披露されるかは行ってみてのお楽しみです。
演技科目
航空祭の場合、天候によって実施できる内容が決まってきます。
特に重要になるのが「雲」で基地周辺に視界を遮るような雲がある場合には段階的に演技の制限が大きくなります。
最も多くの演技を見れる第1区分ですと、雲底(大きい雲の一番低い部分)高度10000フィート以上の場合。イメージとしては、ほぼ「快晴」です。
そこから段階的に引き下げられ第4区分まで順次内容が変化します
これより更に気象条件が悪化すると、編隊連携機動飛行と呼ばれる水平系科目中心の演技に切り替わります。
(ファンの間では4より下ということで、5区分と言う方も)
基準は機体が水平から90度以上傾かないこと、だそうです。
なので背面飛行やロールなどの演技は行いません。
更にこれより気象条件が悪いときは、航過飛行(ローパス)と言われる直線的な編隊飛行のみ実施します。
リモート展示の場合は民間航空機との兼ね合いで空域の制限が大きいため、一般には航過飛行or編隊連携機動飛行のどちらかが基本です。
(NOTAM・ノータム申請と言います)
更にこれより気象条件が悪いと「タキシングだけ」行います。
航空祭全般に言えることなのですが、お天気に大きく左右されるのが定めです。
曇が多いと、スモークも背景と混ざってしまいます。
しかし、こればっかりは、お天道様に祈るしかありません。
ギャラリー
編隊飛行
ブルーの編隊飛行は1番の隊長機が全ての責任を担います。
他のメンバーは、隊長機を信頼して、その動きに続きます。
平成28年度より、6機課目に新隊形の「フェニックス」が加わりました。
ソロ
ソロの華と言われるのが5番機です。
副隊長機としての役割もあり、隊長機に次ぐ技量が要求されます。
2機科目では、6番機も合流して演技を行います。
描きもの
スモークで空に線を描く課目です。
特に2枚目の「キューピッド」は、ハートに矢を刺すオシャレな演出で人気課目になっています。
写真は引用されているものを除き、全て筆者撮影につき、無断使用はご遠慮ください。
[…] ブルーインパルス […]
[…] ブルーインパルス […]