米海軍駆逐艦衝突事故・報道のここが疑問(海上衝突予防の原則)
6/17未明に発生した米海軍駆逐艦「フィッツジェラルド」の衝突事故。
残念ながら不明だった乗員7名は、船内から発見され、全員の死亡が確認されたということで、まずはご冥福をお祈りいたします。
さて、本件に関する報道では何かと「回避義務」という言葉が独り歩きしているように思えます。
しかし、船の場合、どちらが悪いと言い切れるほど、簡単な話ではないのです。
今回は各社の報道を見て、筆者の率直な感想と解説を述べていきます。
「回避義務」の反対は「針路保持義務」
「針路保持権」ではない
今回、駆逐艦側に回避義務があったとするケースは、横切り船の航法として定められているケースで、相手を右に見る船が自ら針路を譲らなければいけないというルールです。
この場合、駆逐艦側が「避航船」、貨物船側が「保持船」となります。
避航船は、相手の針路を塞がないように、回避動作を取らなければならない、というのが基本原則です。
しかし、保持船は何もしなくていいのかというと、そんなことはありません。
海上衝突予防法第17条 保持船の規則においては、以下の文言があります。
第十七条
この法律の規定により二隻の船舶のうち一隻の船舶が他の船舶の進路を避けなければならない場合は、当該他の船舶は、その針路及び速力を保たなければならない。2 前項の規定により針路及び速力を保たなければならない船舶(以下この条において「保持船」という。)は、避航船がこの法律の規定に基づく適切な動作をとつていないことが明らかになつた場合は、同項の規定にかかわらず、直ちに避航船との衝突を避けるための動作をとることができる。この場合において、これらの船舶について第十五条第一項の規定の適用があるときは、保持船は、やむを得ない場合を除き、針路を左に転じてはならない。
3 保持船は、避航船と間近に接近したため、当該避航船の動作のみでは避航船との衝突を避けることができないと認める場合は、第一項の規定にかかわらず、衝突を避けるための最善の協力動作をとらなければならない。
つまり、保持船は避航船が回避動作を取っている間、その回避動作が自らの船の衝突防止に十分かどうかを見張る義務があり、もしも「このままじゃ衝突する!」と疑問を感じた段階で、自らも回避動作を取る義務があるのです。
また相手の動作に疑問を持った時点で、警告の警笛を鳴らすことも求められます。
つまり「回避義務」という言葉はありますが、あくまでも「回避動作」を取る義務であり、それを以って相手の船(保持船)は衝突防止に務める義務を放棄できるわけではないのです。
また海上衝突予防法第7条の5は
船舶は、他の船舶と衝突するおそれがあるかどうかを確かめることができない場合は、これと衝突するおそれがあると判断しなければならない。
と規定しています。
つまり、衝突するかしないかはっきり判断できない時は、衝突する前提で判断せよ、ということになります。
また、仮に貨物船側が保持船だった場合、先の第17条の2において
この場合において、これらの船舶について第十五条第一項の規定の適用があるときは、保持船は、やむを得ない場合を除き、針路を左に転じてはならない。
とありますが、この第15条というのは横切り船の決まりごとです。
つまり、横切り船の保持船は、原則として左に針路を変えることが禁じられているのです。
しかし、貨物船の位置情報には衝突の約10分前に、針路を約15度~20度、左に変えた記録が残っています。
当時の速度は約18kt、およそ1分で500m進む計算になります。
今回の事故の貨物船側の詳細なスペックが分からないですが、見たところブリッジの高さは10mを軽く超えていますので、水平線見通し距離は10km以上ありますし、レーダー波も当然そこまで届きます。
仮に針路変更時点で、自らの針路と交錯する船の存在を認識しながら左に舵を切ったなら、それは保持船として禁止されている操作を行ったことになりますし、仮に存在に気付いていなかったのであれば、見張り義務は十分だったのかという追求は当然避けられないでしょう。
また動きやすい船が、動きの鈍い大型船に針路を譲るという原則もありますが
「それぞれの船は、自分の船の性能を把握して、安全だと思える速度で航行せよ」
というのも海上衝突予防法に明記されています。
つまり大型船は、動きが鈍いことをちゃんと意識して操船しなさい、ということです。
海難審判の事例を見ても、船同士の衝突においては、回避義務を負う避航船に、衝突を回避する義務があったとしながら、保持船側にも「見張り不十分であった、衝突を予見した段階で回避行動に移る義務があった」とする例がほとんどです。
それにも関わらず「回避義務」=どっちが悪かったのかと言わんばかりの報道や世間の反応は、あまりにも単純思考といいますか、思考停止に陥っているような気がしてならないのです。
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